壁に背をつけ、不規則な息を漏らすeatmyを抱き起こす。「さる組織の落し種だったらしい。薬入りの菓子で、自分も相手も暗闇の中へ飛ばすのが常套手段だそうだ」もうこちらへ転げ落ちてしまったけど。今頃は、自らも知らない穴の底で怯えているさ。付け加えて、無意識なのか袖口を掴む白い手を握ってやる。苦しげな呻きが、少し掠れていた。(?+eatmy スパイ人形ネタ)
「もし白兎が、お茶会なんて放り出して魔法のお菓子を平らげてたらどうなったんだろうね」「‥‥何だって?」 クッションに凭れて寝息をたてる少女の瞳には、夢に没我する恍惚が見て取れた。(埃くさい童話の幻視だったのか。脅かすなよ)安堵の息をつかせぬ不穏が蟠る。もう一度振り向いて、もしこの人形が居なかったら。(eatmy+人形 イレギュラーネタ)
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早回しの無声映画は、視界が反転した所でフィルムを止めた。色彩の波に塗れた悪趣味な静止画面に、夢魔が悦楽を抱き抱えて割り込む。「んー、やっぱリ男の子は堅いネ。色々」化け物に飛び起きて無く子供へするように、頭を乱暴に撫でられた事すら視界を歪ませる。飾り立てられた自分自身が、まだ舞台装置の隅に置き去りにされていた。(時計兎+eatmy)
この酷く不安定な高さへ追いやられてから、時計の針の幾度か。適当に切られた黒髪が、相も変わらず目の前で揺れている。窮屈なブーツを抑える掌と体を預けた首筋とが、普段触れられる場所以外からの熱を伝えるものだから、益々不名誉な扱いを受けてたまるかと覚えず漏らした呟きと、纏めて瞼を擦った。夢見の悪さに懐かしむ場所なんて、無い、し‥‥‥(チェシャ猫大+eatmy)
――結われたリボンを整える巴の手に、確かに尾の先端が当たった。意識外から齎された接触による反射的な筋組織の収縮ではなく、さも非礼を責めて払い退ける様に振るわれた物であると言う事は、その付け根の部分から目をひいて乱れるドレスの裾を見れば明らかだ。それはレースの一片よりも脆い最後の理性。少女の"拒絶"は氷の針のように、指先を貫いた。(巴+夜臼人形)
「諸手の行軍は傍聴席を求むかけ脚の反語、このまま鏡の裏側まで御案内致します。赤い花も咲かない穴ぐらの底、為れどアリスは鍵師でも案山子でもない。扉の数字の秘密を誂えたのは貴女です。さあお立ち合い、錆びた時計の針を起こしに行きますよ」きらきらした瞳は最初から私を見ていない。たすけて、と言いたい心のなかに、花びらのような柔らかい指が跨がっていた。(猶+夜臼)
「‥‥野うさぎみたいになってしまって。今の君は荊に飛び込んだだけで壊れそう」触れた髪からは、遺言のように芳香が一筋流れ出す。眠りの庭へ落ちた彼の仕事は、今や甘い庇護を賜るだけだ。人形師のみる夢に水銀の雫を落とせば、その手へ紡ぎ糸が声を織り接いで再び孤独を注ぐ。ただ、足跡が道へ思い及ぶ事を、願った。(巴+時計兎 人形孵りネタ)
「‥‥‥で、件の娘には感付かれたのかな」「何とも言えませんですね」華奢な車椅子は車輪の油が切れたのか、巻き上げ機のような音をひいて止まる。黒い膝かけとヴェールの下では、手折られた人形が静かな寝息をたてていた。その意味を理解しているのかどうか、不躾にもデキャンタボトルへ溜まる赤黒い液体をそのまま口へ含んで、猶は小首を傾げた。
「それでは、御身の餞を務めさせて戴きます」芝居掛かった口調で猶が傅く。細い息を漏らして身を預ける少女の髪から冬の花の細工品を外して、巴が告げる。「この子は、眼を必要とし過ぎた。あらゆる人の向ける眼、くまなく与えられる眼を」七欲の人形なんて売れないもの。女王の瞳は、傲慢へ落ちた天使のそれよりも冷たかった。
その言葉を聴くとも無しに、猶は左手の指先を肩口へ添える。硬く、透明度の高い爪を染める最初の数滴には触れずに拭いとり、浮き上がった赤へ初めてその劣欲を突き立てた。僅か許された痕以外を抉らぬよう、弔いの装いを汚さぬよう、そしてその僅か残る肌の温みに手を引かれ、名札の無い死者の卓へ誘われぬように。(猶+巴 人形始末ネタ)
かん、こん、かん、こん、鐘が鳴る。狸寝入りで猫になれ、嘘つき嫌いのクロケット。嗚呼、林檎色したエナメール、エプロンドレスの人で無し。君じゃない、君じゃない。忘れた眼をして待っている、扉が開くのを待っている。だけど君には通れない。眠る子の絵画は虚像の鏡。頁の向こうに悦は無し、ただ。君の、墜ちる、墓穴 が。(猶独白(→店員アリス))
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投げ渡したそれは、深紅の包み紙に金色で刻印された品番が掠れていた。「なんとかって童話の中にしか出てこない、幻のチョコレートだとさ。正真正銘、廃盤だぜ」手に入れるのは苦労したんだと、同じ金をした髪の少年が笑う。ああ、あんたの好きそうな話のネタもあるぜ?片目を伏せて、椅子を探す。「飛び切り美味い紅茶を一杯、これでくれよ」
「もう宵いですよ」鉢植えから離れ、白猫は微笑む。「迷い男が迷わされるなんてなぁ」「狐灯の面と言います。自分の知らない場所へ向かって咲いていく花」細い茎の先に、回り燈籠の四角い蕾が瞬く。「ひでぇな、ミミックじゃんそれ」「とんでもない」これが無いと渡り狐の子は郷に帰れないんです。件の店主は、また少し笑った。(ロイエ+白猫)
そっと耳を傾ければ、不規則な音が割れ鐘のように低くか細く響く。誰にも届かない叫びはいつしか、銀色に錆付いて再び命を与えられた。電子式の扉につく筈の無い冷たい忘れ物は、遠い未来に彼自身の時を開く。どこかの空に佇む足音を想って、件の店主はそれを木箱から小さな網細工の棚へと移してやった。 (白猫独白(+ロイエ) 空想遺品ネタ)
"水底の切手"が、くぷくぷと笑った。旅をする事をやめ、小鳥の絵と一緒に憧れていた海の奥深くに沈んでしまった小さな切手だ。宙から溢れるように、瓶の中身の碧がひとときに濃くなる。『うん、結構。こんな形でもなければ、邪魔出来んからのう』波間を模る白い縁枠を跨いで、泡粒はゆっくりと光を帯びはじめた。
『珊瑚の芽づる音が聞こえる?左様、南まで下ったからな‥‥‥今は、旅の切手に惚れ抜いて毎晩泣き暮らしているという二枚貝の水鏡を借りておる。お主、偶には外の風に宛ててやれよ。では』電報のように、気泡に込められた言葉は弾けて終わった。やれやれと席を立ち、白猫は窓の鍵、それから硝子の蓋に触れた。碧が、また息づくのが聴こえた気がした。(マノン+白猫)
「僕はぁ、そっちには行けないみたい」無形の深い闇を挟んで、扉の握りを引いたまま動きを止めた男が嘯く。くしゃくしゃと掻き回した髪が、光のない空間で磨ぎすぎた刃物のように軽薄な銀を反射する。「あのね、ビジネスにシビアなのは、お互い様だからね」ああまたうまく言えないや、忘れてよ。締め出される間際、死の商人が片手を振った。(グォイ+白猫)
「アノネ、私達も『場所』を無くすのは惜しい訳。そこは安心して」―この撮影に、牽制の意味は無いらしい。つまり、こいつらの行動の意図する所は単なる挑発か‥‥そうでなければ、そのような"趣向"だ。黒服の玉座へご丁寧に護られた奥の座席でキーボードを叩いていた男が、殴りたい程無責任に、気味の悪い笑みを浮かべた。「お待たせ。ね」(グォイ+猫)
キイ、キイと歯車の音を引き連れて現れた男の風体に、少女は割れ鏡を覗き込んだような悪寒に襲われた。外から内へ、澱を引き込んで表皮を突く左腕には無数の挿し痕が痣のかたちで色濃く浮かび、無気力を溶かして引きずる点滴の中身は完全に濁りきった汚泥だ。「隣の病室‥‥だね」自らの指ごと纏めて錠剤を噛み締め、阿見は笑った。(阿見+研究所猫市)
骨張った指が、水月を避けて腹部を押していく。「・・・また、吐いただろう」覚束無い触診は、それだけで愛撫のように弟の心を擽るのだそうだ。「ンっ・・ふ、ちょっと・・・ね」荒れた胃の側に触れられ、薄く眉間に皺を寄せる。憶えず呼んだ名前をはる崎は拒否し――アミ、と女のような仮名を返した。シーツの上すら離れられない躯で、この男はまた私の知らない場所へ消える。(阿見弟+阿見兄)
牙を立てる指のしなみは、飴の雲母を重ねたように白くきっぱりと冷たかった。齧り取る事を惜しむように、何度も濡れて熱を乗せる。「いつまで、するの」少女の眼は雷鳴を聞いている。雨音が、この身に、絡み来る。星降りの子は尚もあかるいまま、纏う陰へ向かって空の澱はゆっくりと流れ出した。埋もれる光の先が削れて、やめてくれ、曖昧な世界から死んでいく。
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きりきり、と囁くような音が漏れ聞こえる。硝子の器を伏せただけの世界で、星の欠片が窮屈そうに閃いていた。あかりの無い木枠は、額縁のように僅かな光を閉じ込めようと腕を伸ばす。怯えたような明滅の切望は冷たく透過され、伏せられた顔が、痙攣じみて震える肩が時折映る。空へ帰れない星々の不運を、彼女は嗤っていたのだった。
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さかさか、と濃紺に灯りが落ちる。日暮れの窓から、夜が慌てて降ってきた。「動かない絵描きって、あなたの事?」「‥‥‥‥描けないものですから」 謎掛けのように呟いたその女は、高い背の椅子へ膝を抱えて蹲る。暗い部屋に散らばった画用紙が、光りを弾いてゆっくりとその気配を照らしていった。次々に放り投げられる金の粒子は、中空で星へ向かって落ちていった。(嗤殺益永+星の子)
這い寄る感覚を押し込めるのは、自身が纏う黒色のそれだった。痛みから漏れ出してまた蟠る。髪を掴んで引き倒し、喉元から睥睨するその圧力に、僅か数刻前の視界がフォーカスする。別れたばかりの、己の部下が、この黒に刻まれた疼きを同じ熱を持ってこじ開けていったら。骨の軋みが鼓動となって、甘く単純な白昼夢を縁取るように飾った。(猫+シグ(+モブ))
「冬枯れ、と名がついています」「花なんて入ってないよ?」「次の世代へ命を繋ぐ事を惜しんだ風と水の名残が、こんな小さな瓶へ逃げ込んだんですよ。ふふ、笑えるじゃありませんか。皆、自分の中の時間へ留まりたがる」 気まぐれな鳥が、皮肉混じりに囁く。カップの触れる音に混じり、卓の下で白と赤を繋いだ鎖がちゃらちゃらと鳴った。(嗤殺益永+赤目 白猫堂ネタ)
「自分が散々、いや粉々になっていくなんて、ショッキングでしょ。私は優しいから」ギッギッ、と軋んで聴こえるのは神経質な笑いか、骨を挫る刃の唸りか。暗い部屋、机の上の荷。グラスに押し込められる、否定意志。「頭真っ白ーってね」水音を跳ねて沈む球体が吐き出す嘆きは既に白濁して、煩いほどの動悸にかき消えた。(嗤殺益永+鏡藍 目玉ネタ)
思案するように、俯いたまま指先を眉間に当てる。それだけの動作でフロア全ての空気が一変した。「おや、魔法が溶けてしまいました。急拵えだけあって存外埃っぽいんですね、このお城は」放たれるのは零下の怒り。その焔に対峙する男は、初めて困惑の表情を浮かべた。「『提供』有難う。それはもう大事に使わせていただきます」
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「‥‥‥下らない手品だ。さしずめ一瞬の内に空調を破壊でもしたと?」「んな無粋な真似しませんよ。ロマンが無いですな」尚も追撃の手を緩めない敵に立ち向かう気があるのかどうか、ただ少女はその能力を行使し続けた。「世の中には、"こういう奴"も居るんです。僕ぁ滅法に無欲なんで、もうずうっと使わず仕舞いでしたが」
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背後は壁、僅かな武器も度重なる襲撃の末に破壊され、決死の思いで救助した人質は今だ腕の中で眠り続けている。消耗しているとは言え、相手は一人も削られないまま確実に逃げ道を塞いでいた。「‥‥ ‥‥‥‥‥」と、黙りこくっていた連れが何かを呟いている。言い聞かせるように、確かめるように、その眼は不気味な程に輝いていた。
漏れ聞こえるのは怨嗟の呻きでも後悔の声でもない。それは。「おい、増長‥‥大丈夫‥‥‥じゃないよな」「大丈夫にします。所で猫さん」先程から口にしているのは至って暢気な鼻歌だった。吊り上げられた賭け値を愛惜しむ程の双眸。この状態で起こりうる心境を、理解出来ない。
「おお‥‥何だ」「香水って、オイルかアルコール、どちらかは少なからず含まれますよね」「あ?」初めてこちらを向いた表情は期待とある種の確信が見える。猫は、肯定を返した。油断なくこちらを伺う彼らに、場違いに漏れ出す笑いを最早隠しもせず、増長は‥‥‥素行に関する断りを口にしてから、たった一本のライターを提示した。
「ヒーローは三分で世界を救います。まあたまにやられたりしますけどね。たまーに」スイッチを押し、手早くテープを巻き付けて炎が出たまま維持させる。「はい投げて」「はぁ!?」「もたくそしてるとガスが切れるんですよ。こういうの得意でしょう、投げてください」「だってお前‥‥‥ッ、こうか!」手渡されたそれが、宙を舞った。
「さて三分で、小生なら」 警戒が走るが、それ自体はあまりに小さく無力な小道具だ。その事実を無言のうちに理解した黒猫と、その意味を一拍遅れて知らされた芋虫が同時に動いた。「『吹っ飛べ』」パキン、と指を打ち鳴らす。スタンドが解除された。否、球状に存在を遮蔽されていた超微粒子のアルコールが‥‥‥一斉に、燃えた。 (増長+猫+冥流 アリス舎×キャラ化学IF夜臼さん奪還ネタ)
(※ この話は以前投稿した、ほんとうにあった都市伝説設定より『グォイ・チャチュケスク』のゲスト出演作品になっています。また、合同誌として掲載した作品の全文になります。時系列としては過去編になるため若干の設定変更がありますがご了承ください。また、途中に出てくるキャラクターは都ガスのオリジナルモブです。重ねてご理解ください。)
1 アウラモナ島の朝は、万人の予想からすれば遙かに早い。埃濡れの陽光が安っぽい舗装路を黄色く舐めていく側から、軒先だけは何とか”まとも”に取り繕った幾つかの店が、落書きに塗られたシャッターを引きずり寝不足の瞼を開ける。無論、各々の敷地・・・チンケな娼館や掃き溜めじみた匿い屋《バー》のバックヤードに如何なる厄介な荷物を抱えているかを公言しなければならないほど、この島にしがみつく者たちはお人好しではない。そして、しばしば期待されがちな古くさいギャング映画のそれとは裏腹に、詮索好きでなければさしたるドラマも(表立っては)生まれないのが実際の所だった。
この島自体が無法の模倣のようなものだ。名のある組織の出を名乗るものの、実際は荷物の中身も知らないような末端の男が顔を顰めて港に繋がれた洒落たフェリーを睨む。そこから降りてくるのは怖い者知らずの”本国”の観光客達だ。お役人は、雑多に濁った部分を切り離しこの島に掃き捨てにくる。時折、そのジオラマめいた刺激を求めて平和な地から暇人が訪れる。しかし、決して養殖ではない悪意の渦巻くアウラモナの土地を踏んだ、言い換えれば星ゼロ個以下の場所へレジャーに訪れた人間の末路は、数ドルで手に入るようなガイドブックの半ページに書ききれるほど簡単ではないのだが。
2 『その店』がひっそりと建つのは島のふちへ延びる行きっぱなしの道路、その進行方向側だ。間に合わせの船着場から枝分かれしたルートは突っ走ればどれも海へ転げ落ちるラインで引かれた、吹きだまりのような計画性のない道路ばかりだったが来訪者の評判は概ね上々だった。最果ての楽園のどこかで帰り道に迷って少々難儀するか―それさえ大衆じみたハプニングでしかないのは確かであり、却ってちゃちな非現実性を手軽に満たすだけであったが―あるいは思いもがけない、ささいな光景をそのどこまでも乾いた路の先に見つけ、子供のように喜ぶか。海、あるいは大陸を望む絶景を求め、脂を光らせたボンネットの乗用車《トイ》はしばしば無意味にタイヤを回した。
島の上空から見下ろせば、安上がりの刺激を求めて彷徨う彼らの辿る軌道はさながら蜘蛛の巣のようにも見えただろうが、その網の隅へ申し訳程度に腰掛けるいやらしい虫は恐らく餓えとは無縁だったに違いない。
3 彼はいわば人売り・・・無知な新参者を借り取って他の地で放す事で得られる対価で生きる普通の人間だった。が、それは実際の所異なる意味を持つ。彼のただひとつの不幸は、かつて何も知らないまま、他の大多数の人間と同じ事を信じてこの理想の土地にごく普通の服屋を構えた事にあった。一月も経たずに平和な店は他の組が入れ替わり立ち替わりで”荷造り”を行う為の隠れ蓑となり、二月経つ頃には布より先に人を本土へ運ぶ為の輸送手続きを覚えさせられる事になった。やがて手帳からは全うな人間の名前が消え、最低水域での繋がりを張り合う事に躍起になるにつれて、皮肉にも『割のいい』世界が己の頭上・・・この澱んだ蒼穹の元へ広がっているということに気付いてしまった、というのが哀れなる顛末だった。しかしながら、彼の天性の悪運は奇妙にも彼を一介のならず者のみに留めなかった。
彼に会ったならば、正直なところ連想するのはネズミあたりだろう。白痴じみたギョロつく眼は臆病に視線を彷徨わせ、それを覆い隠すように薄い唇が饒舌に弁士じみた台詞を打ち出す。真意のない世辞は相手の心に張り付き、気のいいお節介な隣人としてひとときの間居座ることを成功させる。傍目には品のいい服装は最低限の身なりとして落ち着いているが、良く言えば需要に則す、悪く言えば面白みのない店の内装、並べ立てられた衣服の雰囲気とはどこかそぐわないようにも見える。そもそも用意されている衣服の類が不思議なほど印象に残らないのも異様だったが、それを意識させないだけの違和感は今も目の前でヘラヘラと脆弱な笑みを浮かべる店主(このあたりでふとこの男が存外若い、まあ不健康さを鑑みても年若い事に気付く筈だ)が、顔の半分ほどと腰までを覆う銀髪を鬱陶しそうに流している事にあるのだろう。染めているのではなく、まさか”賑やかな日常"へ充てられたために白髪になり遂せたという訳でも無いらしい、そこそこ整えられた髪は冗談のつもりなのか、ゆるやかなウェーブを湛えてそれこそ女性のように長ったらしく伸ばされて否応無しに胡散臭さを盛り立てていた。そういう面でも、彼は人当たりの良さ・・・否、言い換えれば信用にすら値しないような浮ついたイメージだけを与える装いが、所謂御膳立てのための芝居が上手い。
4 さて、この日も誰かが例に漏れず他愛もない暇潰しと『例の店』に立ち寄る。車線に入る前に少し手前のダーツバーで恋人を残して車を降り、椰子の木陰を悠々と闊歩してこの僻地にたどり着いたのだろう。彼女らは・・・店を訪れる客は、陰気な笑顔でドアマンを勤め、愚直にドレスやケープを手に後を着いてくるこの不遜な店主を引き回して品定めをする内に、望まずとも自ら餌場の真中へ潜り込まざるを得なくなる。
そうなれば島の中でもとりわけ小綺麗に整えられた”張りぼて”はあっさりと悪意に瓦解し、『閑静な』観光地に構えられたブティックはその瞬間単なる”取引の場”へと変貌する。この小さな店は彼がとりわけ自然に振る舞えるだけの簡易的な舞台と言っても良い。哀れなお客はまず、入り口の扉へ何故か既に鍵がかかっている事に気付けるほど注意深く無かった事を悔やめない。悪魔の勧めるままに死装束を抱え、多くの場合・・・せいぜい試着室にでも”埋葬”されればあとは一生陽の目を拝むことはなくなるだけだ。彼が手ずから入り口のカーテンを閉めれば、それは外界との一切の完全な断絶をも示す事になる。ある時は壁に取り付けられた鏡が回転し、その奥の部屋に控えた”運び屋”がガッチリとあなたの口を押さえて隣の小部屋まで案内してくれるだろう。もっとラフな応対の時は、毛足の長い絨毯を貼った床が地下を指し示す矢印看板の替わりを果たす。彼ご自慢の”落とし穴”は、便宜上リフト式での輸送を可能にしているが多くの場合は無遠慮にマイナス三階相当の位置まで叩き落とされるだけだった。この店で最高ランクの持て成しを求めるなら、それは店主自らの手で”スタッフルーム”に蹴込まれるのを狙うしかない。
5 悪趣味の境地極まるギミックは、無論理性も美徳もなく手軽に『人質』をつくり出してはその日のうちに札束《チップ》を生む。しかし、素人上がりの人間がこれだけの大仰な博打を、それこそ小遣い稼ぎついでのようにも振れるのは偏に彼の無知からなるものだったのだろう。現に、彼の浅はかな無邪気さは考えうる上でのあらゆる死線《タブー》を打破・・・いや、首の皮一枚相当の危うさですり抜けている。当然、あちら側の世界の常識で考えても彼の行動は恐ろしいほど思慮に欠けた。発覚する事を恐れず、追われる事を考えず、そして巻き込むことに遠慮の欠片も抱かなかったために・・・彼の存在、彼の行った罪状は人の範疇を越え、『無かった事』と理解されていった。単なる厄介払いといえばそれまでだろう。逆に、こちら側の人間の言葉で言うなら『そんな恐ろしいことは有り得ない』といった甘い言い訳に過ぎない。しかし、臆病の針が振り切れれば、それは一転して既成事実へと姿を変える。彼は、結果的に巡り巡って彼を人としての認識から引き剥がした。
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7 「ハーイ、お兄さん。悪いけどここは男性お断り、妹だかお嫁さんだか知らないけど、プレゼントをお求めなら本人を連れてきて」
「ああ、野暮用を片付けたらとっととおさらばする予定だ。だが、支払いがちと厄介でな・・・引き籠りの人攫いをぶち殺してこいと直々のお達しだ。余所の国の女を見るや目の色変えて、片っ端から引きずり込んで半殺しにしてからオレンジみてぇに木箱にぶち込んで所構わず送り飛ばすって札付きのクソ野郎だとよ。グォイン・チャウチュケスク。覚え在んだろ」
「・・・・・・・うちの商品《マリア》は現品限りだもの、そこまで面倒見切れないよ。ちゃんとパスポートも一緒に送ってるけど何か?そんなに荷崩れが酷いなら、次は多めに藁でも詰めといてあげる」
「半端に暴れて覚えが無いってんならもう一つ聞く。金持ちの変態だか間抜けなゲリラの大家族だかへ売り飛ばすのに飽きて、足首や背中をメチャメチャに切り裂いてから元来た道へ放り出すとかいう悪戯を覚えたんだってな。お陰で朝のニュースは軒並みスナッフ・ショーの品評会だ。しかも、手前の身元が割れるようにわざわざ女共へ吹き込んだって気の違った台詞は・・・」
「『ロアーズ』にようこそ」
「都市伝説《ロアーズ》!死の商人!そうだ、何のつもりだか遂に開き直って、そんな目眩ましの名を巻き散らすようになった!だがその判断はムカつく事に大正解、この島じゃ赤ん坊以外はどっかしらでその巫山戯た名前を口にしてるぜ。クソみてぇな遊びでお前自身はある意味”どこの”所属でも無くなった。もうお前の一挙一動が事実を通り越してカルトな噂話になりつつある。ああ、確かに一晩持たせる仮面にゃぴったりだ。最高にイカレた、否、それを見越しての狂った所行なんだろうが・・・」
「久しぶりに顔を見せたと思ったらまたその話?ねえしっかりしなよ、兄弟《ブロゥ》。別にアンデットに職を移した訳じゃなし、人間に習って日銭は稼がなきゃいけない。可憐なお嬢様の悲鳴じゃ腹は膨れない燃費の悪さだ。毎日組織に振り落とされる夢に飛び起きて冷や汗をかくような哀れな痩せ犬が、ちょっと名前の広まり方が変わっただけでオカルトの世界に飛び込んだ事にはならない。何が怖い事もないよ、そのうちに、綺麗さっぱりにとは行かないが消えてなくなるぜ。だから周りはただ、面倒な事故にあったとしか思わない。天下の黒服《マダー・ブラック》が今更何さ」
「・・・・・こんな寒気のする冗談を言う日が来るなんざ思わなかったが、この際仕方無い。俺を、巻き込むな」
「そう、僕と十把一絡げで君も”仲間入り”してしまった事が恐ろしいんだよね?結局君の本題はいつだってそれだけさ。正体不明の怪人は、嘘か本当か素顔を隠した人身売買の商人と裏で糸を引く謎の男、そう、黒服!すてきじゃないか、僕よりずっと目立たない。勿論、良い意味で・・・・怒ってるの?どこかの御伽噺《フォーク・ロア》に片付けられた、そういう事になってしまった今、また自分がどこにどんな形で居るか判らない。それがどうした?そんな認識になってから、何か特別な力でも使えるようになったってのかい?下らない!いつだって、撃たれりゃ死ぬ普通の人間だろ。あのさ、この地面の裏側には元から僕たちが『居ない』事になっている国が沢山あるんだよ。積み荷に混ざって運ばれる奴、その箱へビール瓶か何かを数えるように伝票を一人二人と貼り付けてる奴、カウンターを挟んでは真面目くさってコインを跳ね上げ、昼間っから殺し合うような奴らは紙の中にしか生きていないと思ってるのがこの世界に、それこそ大きいのも小さいのもゴロゴロしてるんだ。”ここ”に居たってね。自分もその一人だった。神様とやらに中指立てるのを覚えても寿命は延びる。それこそハレルヤ!じゃないか。・・・僕と喋るの嫌い?そろそろ笑ってくれよ。何だったらもう一度言おうか、今更なんだ。もう自分さえ気付いていればどんな立ち位置になったって変わらない」
「ご高説どうも。吃驚するくらい頭に入らなかったぜ。クソ、眠くなってきた。今は道徳のお時間じゃないんだ、センチメントは打ち止めだな?お前が構わなくともこっちが面倒被る。安置の奴らがどう思ってようが関係ない、お前のやらかした馬鹿に腑を煮繰りかえらせてる連中が目を光らせて、さてもののついでとばかりに俺の懐まで突つき回してくるのにどう始末をつける」
「罰当たりめ。じゃあ逃げなよ。逃げたら?現に僕はそうしてる。狭い庭先を取っ替え引っ替え、適当な組織の名簿を借りて一番下に鉛筆のサインと頭文字だけの印を押す毎日だ。この島の空っ風に当てられれば三日で風化するような易い命の代替わりだよ。何ならうちに来れば?荷物を解く暇もなく住処を移す、くたばり損ないの蜘蛛みたいな生活だけどね。風来坊の僕が居なくなれば、入れ替わりにアンカーを任されてお縄を頂戴するのは組織と数珠繋ぎの末端なんだから、どうせこっちの心も体も痛い所なんか無し。今となっては綱渡りくらいのスリルが無きゃぁやってらんなくなっちゃったよ。ははは、それだって”本物”から比べればお遊び、お遊び程度の度胸試し。ぬるい世界の中で、みみっちい遣り取りに盤をいじりまわすしかない。でもお化けじゃないんだ、脚はあるさ。死ぬ気になれば死ぬまで何処へでも逃げ切れるよ。それこそ、煙のような噂の住人だからアシはつかないけどね」
「だからお前の話は聞いてねぇよ。いつ見てもベラベラ女みたいによく喋る野郎だな、それで小間物売り《チャウチュケスク》の矜持がシリアル・キラーの真似事だと?ユダヤ人のジョークはつまらないと聞いたが、全くだ。・・・・・チッ、おい何キレてやがる、その仰々しい獲物《アンティーク》を降ろせカマ野郎。面倒くさい奴だな、無駄に暑苦しい頭を風通し良くされたいか」
「僕だって僕の話をした訳じゃない。チンピラのケツ叩くのが仕事な君と違って考える事が山ほどあるんだからこれ以上容積を減らさないでくれる?
そんなに不幸がるなら、その愚痴るか泣くか煙草吸うしか能のない首から上を質入れ《デュラハン》した方が幸せなんじゃないの」
「そう吠えるなよ、刃物に目が眩んで振り回されんのはガキの証拠だぜ・・・まあ良い、興が削げた。シリアスはお仕舞いだ。これだけ無茶やらかしてもお前が変わらずクソッタレの甘タレな事が判ったってだけで、俺はピル・ショップに行きたい気分だ。つくづく来るんじゃなかったが、お前に泣きつく時点で俺も高が知れてたな。どの道、ここの空気に一度でも触れた奴は仲良くド底辺へ真っ逆様だ」
「喚いたり嘆いたり煩いね、君の方がよっぽどヒステリーだよ。巻き込まれたくないんじゃなかったの?ほんとこんな口から出任せで諦めるんだから単純って言うか、よく今まで全身揃って生きてるよね。・・・まあ、吹っ切れたんならそれはそれ。諦めて始まることもあるし、僕がそうだし」
「知るか。無い頭真っ白になるまで悩む暇が惜しいだけだ。ッたく、息が詰まる店だな、気が滅入る。お前は何時になったらこの古臭いクラシックな内装を止めるんだ?辛気くさいを通り越して墓場に見えるぞ」
「あー、うん、君が報告してくれた通り、大分名前が流れたみたいだからここは一旦引き払うよ。中身は・・・考えてないや。君が決めて」
「気色悪い事言うんじゃねぇ、お前にこれ以上関わったら、そろそろ本腰入れて運命の女神様に呪われるぜ。そんなに転職が好きなら次はチーズケーキ屋 《ポルノ・ストア》でも開けば大繁盛だ。まあ中身は肉屋だろうがな」
「フィルムは好きだけどブルー・ジョークは嫌いだって言ったでしょ。で、そっちはまたケチなマフィア崩れの荷物持ちで頑張る訳?」
「他に何がある。ムカつく新入りは頼りにならない死に損ない《ジャカランタン》で、俺は相変わらず三下だ。だが、少なくともこの腐った地面と汚ねぇ空を毎日拝む必要は無くなるって事もまた事実だ。待遇に注文を付けられた身分じゃなくとも、それだけで寝覚めもマシになるってもんだ」
「じゃあ僕の名刺でも持って帰って。後日、お邪魔させていただきます」
「鬼《グォイン》なんて雑な偽名が通る訳ねーだろ、クソ餓鬼」
「そこはそれ。当然君の口利きで」
「ンなもんは、無ぇ」
********
夕刻の島に陽が陰る。夜半へ近づくに連れ、この店だけは示し合わせたように、この地の常識としての”稼ぎ時”を避けて早々と帳を降ろす。万が一を鑑みてのアリバイ作りに似た小細工でしかないが、ともあれ彼の店は朝日を浴びるまでの間、人形のように体裁を整えて息を潜めた。しかし、また持ち主が訪れるかどうか。いま裏口にかけた鍵を側の排水溝へ放り捨てた店主が明日の準備をしに帰ってくる可能性は、どうやら限りなく低いらしい。
この悪徳の街は、見る者が見れば朽ちた基幹《アジト》の寄せ集めに他ならない。差し引きの天秤から延びた支え一本に、不格好な枝を幾重にも張り巡らせて立っている地盤。夜毎、”取り分”を量り間違えた無頼者《ジャンキー》から受け皿の外へと転がり落ち、眠れない狼が銃工房《ガンスミス》の看板の前で安酒に溺れる。鋼の爪が叩くのは、やがて撃鉄を求める銀の弾丸《ビス》か。いずれにせよ、『彼ら』は地を這うように生きている。時には、自身の仕掛ける罠《ジャック・ポット》に似た落とし穴の地雷原を駆け抜けるような真似も平然と取るだろう。この日、店仕舞いを――――慣れた形であっさりと持ち場を捨てた新米の殺人鬼は、普段と変わらずステッカー貼りのトランクをひとつ用意した。そして、悪目立ちする銀髪がキャップに押し込まれているかをガラス戸の隅で確認すると、今度はもう振り向かなかった。足取りも軽く、『天国に一番近い島』でのバカンスには少々似つかわしい黒ずくめの男を追いかけに向かって走り出す。その姿を、「CLOSE」の文字だけが見送っていた。
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「で、そろそろ君の鈍くささに苛々してきたんだけど、プロポーズとか流すタイプ?さっき言った、逃げなよっていう話の後のあれ、本気だよ」
「・・・・・・・・」
「あーのさー」
「何だよ・・・」
「吹っ切れついでに僕と組まない?嘘から出た真実になって、今度はいよいよジャック・ザ・リッパーの仲間入りだ。何だって身軽な方が良いに決まってる・・・あと、正直そんなに背中を任せられない相手ってのが相場だよ。どうせ僕、君の事そんなに好きじゃないし。晴れて名実ともに『ロアーズ』として大っぴらに動けるんだから、そうなったら景気づけで少し東の方に行きたい。この島を出れば、それこそどこかに僕らの同類が見つかるかも知れないしね」
「勝手に行って相打ちで死んでこい。俺にゃ、『不幸中の幸い』を山ほど背負った大バカ野郎の踏み台にされるオチが見えたから御免だ。今だってそうさ」