境界を跨いで消えかけた躯が、狭間にきつく縫い止められた。左脚。白い結晶の下に締め付けられた四肢。滴る雨粒を喰らう様に、氷結は割れるような音を立てじわじわと男を覆う。凍りついたまま降り積む雫を見遣り、そうして開き切った瞳が傘の奥を射抜く。 「‥‥‥‥やってくれましたね」【草+?】
「私は‥なくなって、居ないんですよ」 それは児戯に似た怨恨。安直な悪夢のように、異界を引き連れた男は倒で天井へ立つ。「こんなにも不確かなものに、惑わされないで下さい」 蜘蛛の糸の上、玉を結んだ呪詛は音もなく雫へ換わった。 (私は、無くなってはいないんですよ)【神←草】
かたく綴じた腕。その内包した歪みも白む程に握り締めた指は、さながら自らを飲んだ蛇のように自身を苛み傷痕を増やす。伏せられたままの髪。怨嗟と悔恨の汚濁に、霧のような虚無を透かし垣間見る。「流れる水は腐らないのですよ」「‥‥腐ったままでいい」 生者が、顔を上げた。【草死】
「よくよく、酷い顔ですね」 くたりと伏せられたままの、半ば破れた頬をくじるようにして滲んだものを掬いとる。浮もせず、留まらず、彼の世と此の地の境を保つ躯ひとつ、その指先を被う拠り所の無い哀しい毒。「生憎と、私は死なないので」 その澱む意味すら塗り潰す、指先。【草→死】
心の死んだ匂いがする。降り積もる雫に叩かれ大気を青く濁らせる枯葉を踏んで、一際重苦しい気配がそこに滞留している。未練がましく骨に纏いつく悪意の澱。うず、とらしくもない突発的な情動を、その指を絡めた感触に重ね、そうして口を開いた。「‥‥雨は、お好きですか」 【草→死】
ゴリ、と音を立てて無骨なそれが頭を衝く。深く俯かされた声。「何ですか、署長さん」「何って‥‥暇潰し」 陰る部屋は、とうに二人の輪郭すら映さない。「私と、本気でしますか」 突き付けられた銃口を押し返すようにして、声の主が緩慢に振り向く。骨の擦れる音が、ミシ、に変わった。【黒→←大】
「楽しそうですな」 振り返っても、濡れた髪は殆ど揺れない。「楽しいと言えばそうですが、私が雨に抱く感情は大きな嫌悪だけです」 返された本人は、訝しげにただ椅子にかじりついている。それを引きはがす為か男はつと歩み出た。「憎悪を頼りに居られれば楽なのですがね。あなたも」 【黒←草】
「私は君に恐怖を抱かない」「それは有り難いですな」 紅蓮の眼が瞬く。「色々と、大変でして」 その奥に幾重にも刻まれた、孤独な毒蜘蛛の姿を認めても対峙する陰は無感動な声音を変えない。ただ、代わりに陶器と金属の触れる音だけが空虚を満たした。「二杯目は自分で煎れたまえ」 【神←黒←地】
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